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摂理について
 名 称
「摂理」はモーニング・スター、30講論、明星教会、JMS、MSとも呼ばれています。
「モーニング・スター」(MS)という名称は聖書の黙示録2章28節「勝利を得る者に、わたしも明けの明星(The Morning Star) を与える」の「明けの明星」を鄭明析(チョンミョンスク)と解釈し、鄭明析を再臨のキリストとして信じ、教えるところからきています。また、「MS教団」「JMS」と呼ばれる由来について、鄭明析教祖の英語表記「Jhung Myong Suk」の頭文字をとっているとの説明もなされています。

 教 祖
鄭明析(チョンミョンソク)(韓国人)、1945年生、元統一教会員
「健康チェック」等と称し、韓国や日本の女性信者複数に対し、性的暴行を行っていた事件で、鄭明析教祖は数度の逮捕後、保釈金を払っては海外逃亡を繰り返していた。
しかし2009年4月23日、韓国最高裁にて、強姦罪・有罪・懲役10年が確定し、現在韓国にて服役中。
 
 日本宣教
日本に入ってきたのは1985年頃であり、筑波大学大学院に入学した「摂理」の宣教師、丁賢芽(チョン ヒョナ)丁智湖(チョン チホ)姉弟によって宣教開始

 布教方法
彼らの布教のターゲット(標的)は主に大学生などの若者です。スポーツ大会や音楽、演劇、英会話などといった各種サークル活動に誘い、これらを入り口として「摂理」の教えを説いていきます。

 問題点
1.「摂理」であることを隠しての勧誘、布教活動
第1は、「摂理」であることを隠して勧誘、布教活動を行っていることです。たとえば彼らの「東京教会」「大阪教会」のかつての表向きの看板は、「東京アカデミーハウス」「大阪アカデミーハウス」でした。また、「神路子コンサート」の主催団体を「日本青年クリスチャンフォーラム」と、キリスト教の団体を思わせるような紛らわしい名称をつけて勧誘の手段としています。

2.信者の家庭で問題が起こっている
第2は、「摂理」に入信した青年達を持つ家庭の中で、既に問題が発生していることです。行事だとか何とか言ってよく外出したり泊まり込むようになります。どういうところに入っているのか親はわかりません。本人達も最初はそれがどういう組織、団体であるのかわからないために、正確に答えることができません。講義が進み、教えがわかってくると、今度は「摂理」側から、「この教えは天の秘密だから外部の者には話さないように」と指導されます。特に宗教だと言うと家の人が心配するので余計隠すようになります。その結果、家族や周りの者達にもよく嘘をつくようになります。

3.教祖、鄭明析は元統一教会員であり、教理の骨格は、統一原理と酷似している。
第3は、鄭明析教祖はクリスチャン新聞の報道(1993.6.6) によれば、元統一教会員で1970年代には統一教会の勝共講師をつとめた人物であり、「摂理」の教理の骨格は統一原理と極めて酷似しています。
内部では鄭明析教祖のメシア宣言を、1999年7月と定め、2023年を地上天国実現の一つの目安の年であると教えてきました。

4.心と人生を支配する合同結婚式
「摂理」に入信した青年達を持つ家族にとって、最も大きな心配事の一つは、子供達の結婚の問題であると思います。「摂理」も、鄭明析教祖による合同結婚式を行っています。
結婚までの流れは下記の通り。(1995年当時の脱会者の証言)

A まず結婚希望者の募集が行われます。

B 希望者の状態を各教会の責任者が見て資格ありと判断されれば、教祖による個人面談が行われます。

C 年齢や信仰歴、伝道した人の数や信仰の状態が確かめられた上で、結婚の資格があると判断された場合、結婚相手を探すようになります。

D 婚約式、祝福(「摂理」のいう結婚)

合同お見合いのような形をとるということです。互いに自己紹介をし合って合意すれば、結婚相手と定めることができます。個人の成長が完成してから結婚して家庭をもつという教えのために、特に日本では条件が揃っていると周囲から言われる人であっても、本人が辞退することもその当時多かったということです。
しかし、結婚の資格が伝道した者の数や、教祖との面談によって決められるというシステムは、教祖の意思が会員達の結婚に決定的な形で関与していることを示しています。

「結婚は本人の意向と神様の意向 が合わなければならないし、私が見て異常があって はいけない。」
  (1991.11.21 大阪箕面市メープルホールでの祝福式における鄭明析教祖の言葉)

またこの先、社会的正義に基づく批判をかわすための方便として、「摂理」の合同結婚式が変形、緩和されることがあるかもしれません。
しかし、祝福を与えることができる資格が鄭明析教祖だけであるという教義が存在する限り、教祖による会員達の心と人生の支配という本質は何ら変わるものではありません。


 罪を犯す構造の本質
「摂理」の問題の核心の一つは、一人の罪深い人間(鄭明析)を罪のない人間にまつりあげることにあります。宗教的次元において、偽りの救い主をつくりだす行為にこの問題の深刻さがあります。

一人の罪深い人間を罪なき教祖、メシアに仕立てるときどういうことが起こるのでしょうか。教祖の側からすれば、罪なきメシアとしてあがめられるために、自分の犯した一切合切の罪とその責任を、他の者に転嫁することを必然的にやるようになります

幹部はじめ会員達の側からすれば、作り話の教えと教祖の罪の数々、悪しき指導に対しても、絶えずこれを弁明、正当化し、「これは天の秘密なのだから」と自分に言い聞かせながら生きることが、これもまた必然的なこととして要請されてきます。

その結果、彼らは教祖への深い愛と忠誠の故に、教祖を守るために悩みながらも罪を犯し、ある時には犯罪を犯すことも起こり得るのです。
ここにこの問題の深刻さと彼らの『救出』に全力を傾けなければならない理由の一つがあります。

以上は1997年9月26日に開催された「全国霊感商法被害対策弁護士連絡会」(第26回東京大会)」における講演を補筆したものである。(但し資料の部分の掲載は割愛した)