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統一教会について
■ 名称

正式名称 「世界基督(キリスト)教統一神霊協会」

※ 「世界基督(キリスト)教統一神霊協会」は、通称「統一教会」と表記しています。しかし、キリスト境界では「統一協会」と表記するのが一般的です。「日本宗教問題研究所」のホームページ上では、「救出」」という宗教的観点から「統一教会」という表記を用いています。

■ 教祖
本名は文龍明(ムンヨンミョン)、1920年、現在は北朝鮮となっている平安北道で生まれる。
2012年9月3日、逝去。

■ 創立
1954年5月 韓国ソウル特別市で創立


■ 日本宣教
1958年6月、崔奉春(チェポンチュン)(日本名 西川勝)の密入国によって宣教開始


■ 問題点
○「統一教会」であることを隠しての勧誘、布教活動
「統一教会」は実に多くの関連団体を持っています。多くの人は、そこが「統一教会」への入口であることを知らされずに誘われます。例えば街頭でのアンケ−トや戸別訪問による手相占いを用いて「ビデオセンター」(「統一原理」をビデオ講義で教えるところ)に誘ったりします。また宝石や絵画、着物の展示会、各種サークル、ボランティア活動、市民大学講座、スポーツ大会、ブライダルセミナーや健康講演会などを用いて「統一教会」に導こうとします。

誘われる人は、最初、これらが「統一教会」と関係があることを知らされません。彼らが「統一教会」であることを隠すのは、「統一教会」の反社会的行為を、正しいとは言い切れない罪の思いを心の深いところで抱いているからです。

こうした「統一教会」の活動が、どのように深刻な法的、社会的、家庭的問題を引き起こすかは、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(被害弁連)のサイトをご覧ください。詳しく知ることができます。

○本人の人生を失わせる
「統一原理」を信じると自分の人生を文鮮明夫妻に捧げて生きるようになります。なぜなら、原罪の清算と悲惨な罪の人類歴史を終わらせることができるのは文鮮明夫妻だけであると信じるようになるからです。

その結果、どんなに家族から反対され、正義にもとる反社会的な活動をすることに心を痛めながらも、「地上天国」実現のためにはこの道しかないと思うようになります。善い人間になることを目指しながら、「御旨のためならば」と嘘をつき、「為に生きる」と言いながら、いつのまにか冷淡で傲慢な人間になってしまうのです。

信じている者の熱心さが、その宗教の正しさを保証するものではありません。「統一教会」のかかげる「地上天国」が未だ実現しないのは、その教えが真理ではないからです。偽りの教えは偽りの人間をつくり、人生を失わせてしまいます。

○心と人生を支配する合同結婚式
合同結婚式については、これまで家庭的、社会的、法的、人権的視座から実に多くの批判がなされてきました。婚姻無効の判決さえ出ています。マッチングの後、婚約を解消した方々や離婚した方々も多くあります。「理想家庭」とは遠い現実の中で悩んでいる夫婦や家族もあります。

それにもかかわらず、教会員たちが文鮮明夫妻から祝福を受けることを望むのは、教祖によって最も相応しい「相対者」が与えられると信じているからです。さらに、合同結婚式を通して原罪が清算され、教祖夫妻の天の血統に連なるという教えを信じているからです。

文鮮明が、最も相応しい相手とマッチングさせることができるというのであれば、どうして長男の孝進(ヒョウジン)洪蘭淑(ホンナンスク)のマッチングにおいて、仏教の巫女(みこ)、占い師に相談(『わが父、文鮮明の正体」』p. 89) する必要があったのでしょうか。

聖書は一貫して占いを罪と定めています。「占いや呪術を行ってはならない。」(聖書 レビ記19章26節)
この先、「統一教会」の合同結婚式の形が変化したとしても、教祖による会員達の心と人生の支配という本質は何ら変わるものではありません。配偶者の選択という人生で最も重大な決定を、偽りの教えと偽りの教祖に委ねることほど深刻で危険なことはありません。

■ 罪を犯す構造の本質
「統一教会」の問題の核心の一つは、一人の罪深い人間(文鮮明)を罪のない人間にまつりあげることにあります。宗教的次元において、偽りの救い主をつくりだす行為にこの問題の深刻さがあります。
一人の罪深い人間を罪なき教祖、メシアに仕立てるときどういうことが起こるのでしょうか。

教祖の側からすれば、罪なきメシアとしてあがめられるために、自分の犯した一切合切の罪とその責任を、他の者に転嫁することを必然的にやるようになります。 

幹部をはじめ会員達の側からすれば、作り話の教えと教祖の罪の数々と悪しき指導に対しても、絶えずこれを弁明、正当化し、「ここには何か深いわけがあるのだから」と自分に言い聞かせ、また教えるようになります。

その結果、彼らは教祖への深い愛と忠誠の故に、教祖を守るために、悩みながらも罪を犯し、ある時には犯罪を犯すことも起こり得るのです。
ここにこの問題の深刻さと、彼らの「救出」に全力を傾けなければならない理由の一つがあります。