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■ 最善の救出とは
 何からどこにむかっての「救出」なのか

ほとんどの家族は、「霊感商法や合同結婚式をやるような宗教をやめさせたい」とか「宗教に凝らない普通の子に戻ってほしい」という願いをもって相談に来られます。私たちは家族のこうした願いを理解しながらも、「人は宗教性をもった存在なのです。やめるだけで本人の心の空白(宗教性)は満たされますか」と問いかけます。

「あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」
                         (アウグスチヌス『告白』より)

「日本宗教問題研究所」が絶えず目指している救出とは、「罪と暗闇の世界に支配されている魂が、生ける神によってキリスト・イエスにある永遠の命の世界へと移されること」です。



 何によって「救出」するのか

これについてもほとんどの家族は最初、「牧師さんがうちの子を説得してやめさせてくれる」と思っています。また救出を単なるテクニックと見なしている家族もいます。救出を成功させる鍵は、人の知恵や力だと考えているのです。

しかし、救い出してくださるのは、人ではなく生ける神様なのです。神様がご自身の御言葉(みことば)と聖霊によって悔い改めと回心を与え、救出、脱会へと至らせてくださるのです。

救出に携わるものは、資料や証言など、救出に必要な自分の道具をそれぞれ揃えています。しかし、それがどのように鋭い威力をもつ道具であったとしても、道具は所詮、道具であり、それ自体には人の魂を救う力はありません。特別恩恵(文書化された特別啓示である聖書の御言葉)によって、それが正しく用いられるときのみ、一般恩恵としての道具は、特別恩恵に仕え、はじめてその役割を果たすことができるのです。

 救いは家族から(家族もまた失われた魂だから)

「日本宗教問題研究所」では、救出はまず相談に来られた「家族の救出」から始まります。なぜなら、家族もまた救いを必要とする失われた魂だからです。
こうしたやり方に多くの家族は、「なぜ、私たちが救われなければならないのか。救われるべきは子供であって私たちではない」とつぶやきます。しかし、遠回りのようで嫌に思えることであっても、
これが神様の前に最善で最短コースの救出方法なのです。
ここで松嶋恵美(仮名)さんのお母さんである松嶋純子(仮名)さんの証しを紹介します。


生ける神の力による「救出」
                       
松嶋純子(仮名)


私の長女は専門学校に在学中、統一教会に誘われました。最初、私はそこが悪いところだとは知らず、娘に頑張るよう励ましていました。しかし、日が経つにつれて、これまでの娘からは想像できないような態度が見え始めました。得体の知れない不安が私たちの家庭を襲い、家族は危機にさらされました。

その後、漆崎先生を知ることができ、主人と共に不安な気持ちで教会をたずねました。
私は娘を救い出すための対策を話してもらえるとばかり思っていましたが、先生は毎週の礼拝に出席して御言葉(みことば)(聖書)を学ぶようおっしゃいました。私は何もキリスト教に入りたいわけではなく、娘を救って欲しいだけなのにどうしてこんなことを言われるのかとがっかりしました。その上、先生から、「先ず、両親が救われることではないでしょうか」と言われ、キリスト教は何て冷たいのだろうと感じました。

次の日曜日、主人と次女と3人で、出るだけ出てみようと礼拝に出席しました。しかし、わけがわからず、私たちは代々、仏教の家なのに、どうしてこんなことをしなければならないのか。こんなことで娘は助かるのか、こちらは時間がないのにと腹立たしく思いました。こんな悠長なことをしている暇はない。ここは本当に娘を助けてくれるのかと疑いの心で一杯でした。

それが、3回目あたりから、私たち家族の中にも変化が起こってきました。もしかしたら神様はおられるかもしれない。それならばこの神様に寄り頼んでみようという思いがかすかによぎりました。そのうちに、見えないものに対して、弱いけれどもお祈りするようになりました。聖書の教えがだんだん理解できるようになると、問われているのは親の生き方そのものであることがわかってきました。娘に神でないものを拝むなという前に、まず親の私たちが正しい神様を知らなくてはいけないと思うようになりました。

やがて神様のご用意くださった「救出」の時が訪れ、私たちは生ける神様の力に支えられて、娘と勇気を持って向かい合うことができました。激しい霊的な戦い(長女の心を捕らえている悪しき霊との戦い)の末、娘は救われました。

私たちは娘の救いを通して、人間の無力さを知らされ、今まで自分が生ける真の神様に背を向け、大きな罪を犯してきたことを知りました。そして家族全員に回心が与えられました。

長女の「救出」に協力してくれた親族一同も、私たち家族の救われた様子を目撃し、深い感動に包まれました。

あれから11年の歳月が経ちました。11年の間、神の恵みは日毎に増し加わりながら、私たち家族と共にありました。生ける神に真実に寄り頼む者に、神は深い憐れみと祝福をもって顧みてくださいます。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(聖書 ローマの信徒への手紙8章28節)